昭和十六年八月十六日、十七日2019年11月03日 13:54

昭和16年8月16日

八月十六日(土)晴

 起きるとパーッと日がさしてまぶしく、きのふと入れかはればよかったのに…と思ふ。
 女中が九時半のびんでかへってしまふと、三人だけの生活。少しうんざりする。だが明日は母がいらっしゃるので家中すみからすみまでさうぢした。
 母から手紙が來て、上の姉が女の子を産んだとしらせて來たので早く見たくなった。私もこれで三人の叔母さんである。

 


八月十七日(日)晴
 母を御むかへに私だけ駅へ行く。旧道へ行って買物をしてゐたら電車が行ってしまったので、大急行で驛までかけて行った。汽車がつくのと丁度一しょだった。
 歸りのバスは二度も途中でエンコをして、私のそばの男の人は「此のバスは二日前にかぜをひきましてね。ごきげんがわるいのです」等と言った。
 御晝御飯はおみやげのとりで姉と私とでごちそうをこしらへた。
 夜はひさしぶりでどろぼうの心配もせず安心して寢られた。
 ……今日はほんとうなら靖國神社の御せいそう※に行くのに、行かれないので家でうんと働いてそのうめあはせにした。

※ 学校が靖国神社に隣接しているので、境内の掃除は自発的な奉仕活動だった。



昭和十六年八月十八日、十九日2019年11月03日 14:01


昭和16年8月18日

八月十八日(月)晴
 十五日に碓氷峠へ行くつもりだったのに行かれなかったから、今日行くことにした。大きなリュックをしょってバスで旧道まで行く。それからさうたう急な登りになって下の方で清流の音がしたり鳥が鳴くくらいでとても静かである。
 一里くらいで峠の見晴台に着く。こゝは日本武尊の「吾妻はや※」の遺跡であるさうだが、日本武尊はよっぽど御目がよくいらっしゃったかでなければ、太平洋は見えさうにない。たゞ妙義の連山がぎざぎざしたのこぎりの様な山はだを見せて幾重にも重なってゐた。
 熊野神社に参拝し、茶店で名物力餅を食べる。
 かへりは霧積温泉へ行く途中まで行ってひきかへした。旧道でバスの時間があるので、雲場の池でボートに乘った。兄はボートの中で二度もひっくりかへってオールを両方とも流してしまったりして大さわぎだった。夜は足が痛くて痛くて仕方がなかった。


※ 日本武尊は東国(関東)を平定して北へ進み碓氷峠に至る。旅の途中で没した弟橘姫(オトタチバナヒメ)を偲んでアズマハヤ(アア、いとしい我が妻よ)と嘆かれたと日本書紀にある。碓氷峠の熊野神社に吾嬬者邪(アズマハヤ)の立て札あり。


昭和16年8月19日

八月十九日(火)晴
 姉は千ヶ瀧の御友達の所へいらっしゃり、私は旧道へ一人で買物に行った。ま すます色が黒くなり悲觀する。その他変わったことはなかった。


昭和十六年八月二十日2019年11月03日 14:12


昭和16年8月20日

八月二十日(水)晴
 父が今日いらっしゃる豫定であったが、會社がいそがしくて來られないと電報が來た。
 事務所のそばにテニスコートが出來たので、姉とやりに行く。前に少しやったきりでずーっとやらなかったからとんでもない方へ行ってしまったり、いはゆる「おしゃもじ式」をやってしまったりで汗だくだった。
 兄は※馬車屋の小父さんに前からたのんでつれて來てもらった馬(といふもの)に初めて乘って、あぶなっかしさうに歩いてゐた。私も午後から乘ることにした。※
 長ズボンにワイシャツといふものものしいいでたちで行ったけれど、なにしろ私は馬などと言ふものは、御かねを入れると上下にゆれる木馬か豊島園のロバくらいしか乘ったことがないので少しこはかった。
 しかし乘るととても高い所へ上ったやうな氣がしたが、そんなにこはくなかった。
 又明日乘る約束までしてかへった。


※ 騎兵将校の長兄の影響を受けているが教わったことはない。兄は長兄のくれた長靴(チョウカ)をはいている。馬場の練習などはなく、すぐ野外へ出る。車はほとんど通らず、土の道だから乗馬に向いている。

 自転車さえ禁止する親が多いのに、母親は乗馬をすすめてくれていた。そのためのお金もくれた。父親は無関心。私は二歳年上の兄と一緒だったから心強いが、中学一年生でよくやったものだと今更思う。次の年は旧軽井沢の乗馬クラブの馬を借りた。


■4コマ漫画のセリフ

:サッソウと乗りこなしてくるゾー  2:小さな女の子が来たヨ  3:なんだ新米か  4:どっかでふり落としてやろう

馬は利口だから初心者をバカにして思うように動いてくれない。 


昭和十六年八月二十一日2019年11月03日 14:25

昭和16年8月21日

八月二十一日(木)晴時々小雨

 朝、又、馬に乘ってゐたら、八百屋の小父さんが馬でやって來て、ホテルまで馬で行きませんかと言った。兄も、少しこはそうだが行くことにして、私は小父さんの馬に乘せてもらった。ホテルは押立山といふ百米の山の頂上にある。
 てくてく登って行ったらわりに近かった。ホテルからはとても景色がよいのだが、あいにく曇ってゐて残念だった。
 もう一人で馬を自由に動かすことが出來るのでうれしくてたまらない。ホテルから何の氣なしに馬を見たら、二匹とも來た道をテコテコ走り出したので、大あわてでつないだ。
 御晝近くに家にかへると、母は私があまりかへらないので、どこかで目を廻して居るのかと心配したとおっしゃったので、大ふんがい。
 晝から大觀樓のこんしん會に出席した。

昭和十六年八月二十二日、二十三日2019年11月14日 18:01



八月二十二日(金)雨後晴
 今日はもう二十二日。この間御休みになったと思ったら、もうあと一週間とちょっとしかない。
 母は輕井澤にいるのも少しだから、毎日馬に乘って上手におなりなさいと言はれたので、今日もやらうと思ったけれど、雨が降り續くので勉強したり本を讀んだりしてゐた。
 午後やっと晴れたので二時頃から乘る。姉は今日初めてなのでおっかなびっくりだった。


八月二十三日(土)小雨一日中霧と雨
 どこへも出られないでつまらなかった。母は旧道へ行らっしゃった。
 することがないから、野原の花を寫生したりした。
 土曜だから父がいらっしゃるかと思ったがいらっしゃらない。よほど會社がいそがしいらしい。御氣の毒だ。



昭和十六年八月二十四日2019年11月14日 18:21


八月二十四日(日)晴時々小雨
 今日は不破さんと旧道で會ふ御約束をしたが、朝雨がぽつぽつ降って來たのでどうしようか迷った。
 自轉車で行くつもりであったがバスで行った。
 旧道で不破さんと一しょになって、自轉車を借り雲場ノ池でボートに乘った。旧道は雨が降ってゐなかった。
 一時間ばかりして旧道へ引き返す途中、野島さんに會った。不破さんの御祖母様や、御叔母様や御姉様もいらっしゃり買物等した。
 今日は日曜だったので、教會※大勢人が出て來た。ハレルヤの合唱等も聞こえた。
 しばらく自轉車を乘り廻してから御わかれした。バスに乘るため、驛へ行ったら丁度汽車の着いた所で、三等はもとより、二等も眞黒になるほど人が乘って、遠くから見ると窓に皆黒い幕を下ろした様だった。
 夜、さんぽに行った。

 現在も結婚式などで人気あり。