昭和十七年八月十九日2020年04月25日 11:28

八月十九日  

 ひと月の思ひ出をのこして今日は軽井沢を去る日。

  この大好きな軽井沢を後にしてあの東京へかえるなんて考えてもいやだ。だけど仕方がない。この日記の始めから順に頁をめくると、ひと月のあひだの軽井沢での数々の楽しかった思ひ出が書いてある。目をつぶるとその時のありさま、人の顔、話などがはっきり浮かぶ。この晝間でも物音しない南軽井沢。家のまはり一面に咲いてゐるとりどりの秋草。きれいな声で鳴く鳥。夜になると宝石をはめこんだ様に光る押立山のホテル。一里でも二里でも走る自轉車。あとひと月位ゐられたらどんなによいだらう。

  とにかく朝早く起きて大急ぎで片付ける。今日も雨で寒い。ここへいつも置いてゆく食器、ふとん、それぞれ分けてつゝんでしまふ。おさうぢする。事務所へ行く。いそがしいいそがしい。

  それでもどうにか終って八時半頃自動車に來てもらふ。駅へ向ふ途中道がわるいので、水たまりでどろが自動車より高くはね上った。

  十時二十二分發なんだけれど場所をとるため、一時間も前に行くのである。
 改札口にはまだ三人しかゐないので安心した。二、三等車が増結すると言ってゐたが三等車が一台しかつかないことになったので三等でも坐れる方がよいから増結車に乗ることにした。

  座席はうまくとれた。ポォッピィッピィッと三つのちがふ汽笛をならして汽車は靜に動き出した。ゆっくりゆっくり走る。一面霧がかかってゐて、あたりの景色はおぼろげにしか見えない。矢ヶ崎山の裾だけ見える。ゴットンとにぶい音を立てゝ二十六号トンネルへ入った時はもうおしまいだと思った。

  熊ヶ谷の駅でプラットホームの前の方にアイスクリーム売りがゐるが中々こっちへこない。汽車が動き出した、兄が「よし、うまく買ってやれ」と動いてゐる窓口で「四ツ」といってお金をわたす。さうたう早く走ってゐるので、売子はソレッとか言ってアイスクリームの入ってゐる箱ごととび上って四つわたしてくれた。まさにキキイッパツである。乗客の感歎した様な顔、うらやましげな顔……(アイスクリームは少ないのです)

  汽車は雨の中を通ったり晴れた所を通ったりして東京へ近づく。雨が降ってゐるので毛織の上衣を着てゐたが、赤羽まで來ておかしいからぬいだ。東京まで着て行ったら人が笑ふだらう。

  上野で自動車を待つ間、町がごみごみしていること、さうざうしいこと、汚らしいのでびっくり。きょろきょろした。 

 家へつく。女中※がおさうぢしたと見えて中々きれいだ。さてこそ我が家なりといふ気がする。今日はとっても涼しい日ださうだ。ヘェこれでも……。何となくムッとする。


※女中 住み込みのお手伝いさん。この年くらいまで都会のサラリーマン世帯にはたいてい居た



コメント

_ トマサラ ― 2020年04月26日 23:38

まだ東京から軽井沢が遠かった時代、帰京がどんなに後ろ髪引かれるものだったか想像できます。頭にも心にも素敵な夏の想い出がどんなにいっぱい詰まっていたことでしょう・・・振り向きたくても振り向かない後ろ姿がキリッとしています。この頃は東京の夏も30度にはならなかったでしょうね・・・

_ イノリン ― 2020年04月30日 15:53

トマサラさん、コメントありがとうございます。
母の後ろ姿、そう言われればキリッとしていますね。細かいところまでよく見てくださって感激です。今日このあと、4巻の前書きの部分をアップする予定です。
どういう状況の中の日記だったかを、母がその後記しているのでそれを皆さんに読んでいただきたいです。

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