軽井沢図書館で展示中 ― 2019年08月04日 22:25
もう明日までになりましたが、1日から中軽井沢駅隣りにある町立軽井沢図書館のロビーで和子さんの夏休み繪日記の原画パネル展を開いております。
この暑さでアップするのを忘れていました。
3ヶ月前に図書館に手紙を出して願いが叶いました。
先月は美の壺にも出させていただいて、母もあっちで驚いていることでしょう。
といっても設営も含めて作業は私一人で行いました。
戦中の軽井沢の話は希少だそうで、信濃毎日新聞からも取材の申し込みがありました。
母の絵日記が役に立つのならどんどん広めたいものです。
しかし、暑すぎ。
1日に軽井沢に行きましたが、昼間は蒸し暑かったです。
それでも朝晩は涼しくてクーラーいらず。緑もきれいで鳥の声もうれしい。
自分の家の別荘がほしい。今年ほど感じたことはありません。
明日は午後3時過ぎに現地へ行き、5時半から撤収開始します。
夜は友人の別荘にまた厄介になります。
6日はやはり絵日記を通じて知り合った方の別荘にお呼ばれしています。
図々しいけれど、幸せです。
昭和十六年八月三日 ― 2019年08月08日 19:16
八月三日(日)時々雨
六時頃目が覺める。しんしんとして居て氣味がわるいほどだ。
戸を開けると一面の霧で何も見えない。すぐ火を起こして御飯をたいて、朝御飯にする。東京みたいに外米※が入らない日本米だからとてもおいしくて何べんもおかはりを……午前中は昨日片附けられなかったふとん等をせいりした。それに水道でなく井戸だけれど、それがまだこわれてゐて、いちいちバケツを下げて汲上げなくてはならないので腰がいたくなってしまった。けれど去年等は女中や大工なんかが來たのでわりにらくだったが、今年は三人だけで大変だが、ほんとにいゝ御手つだひの實習になると思ふ。
※中国との戦争が長期となり、国内産の米は軍用にまわるので、外国からの米(産地不詳)を食べるようになる。米は割り当て配給制度になっていた。都会で米を自由に買うことはむずかしくなる。
昭和十六年八月四日 ― 2019年08月30日 17:04
八月四日(月)晴
朝御飯がすんで部屋を全部さうぢして、廊下の雜布がけをし、テーブルと椅子を出して來た。家に居るのは姉と私だけなので交替に事務所の前の雜貨屋へ色んな物を買ひに行った。
午後は母が歸っていらっしゃったので、姉と二人で自轉車で旧輕井沢へ行った。旧輕井沢まで一里半※ある。途中まで行くと橋がこはれて道が通れなくなったので人に聞きながら大廻りして行った。旧道※の入口で自轉車をあづけて買物する。去年よりずっと人が少ない。四年の方と三年の方と清水さんの姉妹様、菊組の熊切さんに御會ひした。
かへらうとすると、馬があばれて御腹でダットサン※のほろをこはし、自轉車をはねとばして乘って居た人をほうり出した。私はダットサンのすぐ横に居たので、ほんとに自分がけとばされるかと思った。
一、雨戸を開ける
一、御座敷、茶の間、勉強部屋さうぢ
一、御ぜんだて
一、御飯造り(母の居ない間)
一、御使ひ
一、雨戸を閉める
一、火起こし
朝御飯がすんで部屋を全部さうぢして、廊下の雜布がけをし、テーブルと椅子を出して來た。家に居るのは姉と私だけなので交替に事務所の前の雜貨屋へ色んな物を買ひに行った。
午後は母が歸っていらっしゃったので、姉と二人で自轉車で旧輕井沢へ行った。旧輕井沢まで一里半※ある。途中まで行くと橋がこはれて道が通れなくなったので人に聞きながら大廻りして行った。旧道※の入口で自轉車をあづけて買物する。去年よりずっと人が少ない。四年の方と三年の方と清水さんの姉妹様、菊組の熊切さんに御會ひした。
かへらうとすると、馬があばれて御腹でダットサン※のほろをこはし、自轉車をはねとばして乘って居た人をほうり出した。私はダットサンのすぐ横に居たので、ほんとに自分がけとばされるかと思った。
一、雨戸を開ける
一、御座敷、茶の間、勉強部屋さうぢ
一、御ぜんだて
一、御飯造り(母の居ない間)
一、御使ひ
一、雨戸を閉める
一、火起こし
※約六㎞
※旧軽井沢、中山道の昔の道だから旧道といわれている。
※日産車の旧称
昭和十六年八月五日 ― 2019年08月30日 17:26
八月五日(火) 晴れ後雨
朝、とても淺間山がよく見えた。さうとう大きなけむりをはいて居る。働いた後の御飯がとてもおいしかった。
午後、淺間の方に昆虫さいしふに行らっしゃった兄がかへって來た。
夜、御飯の後で戦地の兄※へ手紙を書いた。
朝、とても淺間山がよく見えた。さうとう大きなけむりをはいて居る。働いた後の御飯がとてもおいしかった。
午後、淺間の方に昆虫さいしふに行らっしゃった兄がかへって來た。
夜、御飯の後で戦地の兄※へ手紙を書いた。
※ 北大卒業後サラリーマンだったが、国民皆兵の国家方針により、心ならずも軍人となる。太平洋戦争以前の中国との戦争状態 (日支事変)に騎兵将校として、北支(中国北部)、中支(中国支部)を転戦する。その後負傷して除隊。サラリーマンに戻る。 習志野騎兵連隊で、三笠宮と同隊であった。
事務所へ牛乳を取りに行った。神津牧場※の牛乳である。
母は東京に用があるので一度東京にかへり、代わりに女中が明日來ることになった。
母がかへると、姉と兄と私だけなのでちょっとさびしかった。
午後は理科の宿題の押花をするため、胴亂をぶらさげて出掛ける。苦勞しなくても花は家の前の野原にウンとあるので惜しげもなくとることが出來る。
胴亂※をさげ、蛇のためにステッキをもった。かっかうが郵便配達人みたいだと姉に喜ばれた。
夕方御釜をかける七輪の火が起こらなくて困った。
※南軽井沢の正面にお椀を伏せたような形の押立山(オシタテヤマ)があり、その裏を群馬県側に下ったところにある。
※ブリキ製の肩掛けひも付き容器。採集した植物などを持ち運ぶ。
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