デジタルスケッチ2020年12月01日 18:44


アップルペンで描いた絵

久しぶりにアップルペンでiPadにお絵かきしました。

手書きの文字が上手くかけなくてフォントにしました。

Photoshopなのでボヤケ気味です。

下書き無しで描けたのが成長したかもしれない。

でもまだまだ研究中。もっと描かないとダメだわ。

和子さんの冬休み絵日記2020年12月16日 12:48

今年になって、母の遺した昭和16年の夏休み絵日記帳の後ろの方に、冬休みの絵日記が綴られていたのを発見しました。ページが完全に終わっていたため、まさか数ページ後に冬休みのものが始まるとは思っていませんでした。中国との戦争でいよいよ資源不足に陥っていた頃だったのでしょう。この鍛錬日誌とかかれた日記帳も夏冬一緒に印刷したものだと思われます。

ということで、昭和16年から17年にかけての冬休み絵日記を初めて御披露します。よろしくお願いします。ちなみに母が中学1年生の時のものです。


昭和十六年 十二月二十五日 木曜 晴

いよいよ今日から冬休みだ。今度もいろいろ御手傳が出來さうでうれしい。

朝御座敷のさうぢをして、繪の先生の所へ行く。菊の寫生が出來て今度はクコだ。めんどくさいと思へばそれまでだが、だんだん書けて行くのがたのしみだ。

家へかへると、姉は縁側で靴下カバーを作っているので、私も仲間入りしてこしらへた。あつぼったくてあたたかいのが出來た。母にもこしらへて上げることにする。

夜、母と洋服のなほしをしていると、ラヂオがとつぜん臨時ニュースを發表した。「香港は降伏せり云々……」と。家中思はず萬歳をさけぶ。この感激!日本人のみの知るものである。さう、私達は日本人なんだ。私達はなんといふ幸せなありがたい國に産まれたのだらう。








和子さんの冬休み絵日記2020年12月17日 13:22

昭和十六年 十二月二十六日 金曜 睛後雨

大久保の姉の所へ行くつもりだったが、起きると雨だった。

明日は大さうぢだから翌々日に行くことにする。

和子さんの冬休み絵日記2020年12月17日 13:29

十二月二十七日 土曜 睛時々小雨

疊屋さんと手傳の人が來てくれることになって、大さうぢをする。

姉と私とは二階の受持ち、一年中のごみを全部はき出してたたみふきをしたゞけでもう御晝になってしまった。晝御飯のときおむすびをこしらへた。

午後はガラスふきとベランダのさうぢをした。普段あんなにおさうぢして置いても、たゝみなどふくと、雜布はすぐ眞黑になってしまふ。どこから入るのか知らなかいが、ごみやほこりもずいぶんあるのに驚く。

下でも母達がたゝみを出したりして尾られるので、そこも手傳った。
夜足がだるくてこまった。

原文ママ






和子さんの冬休み絵日記2020年12月18日 17:02

十二月二十八日 日曜 睛

姉の所へ行くため九時頃家を出る。途中で御土産を買って行く。

玄關をあけると幹雄チャンが遊んで居たが、私達の顔を見るとキャアキャアと言ってよろこんだ。範子チャンが外から息をきらせてかえって來た。しばらくの間に大きくなって、長く伸ばして編むとか言って、なにか上代の神様みたいな頭をしてゐた。

フクちゃん(今年の夏休みに産まれた)は、あやすとエヘヘへと笑ふ。三人ともパパが出征してゐるのにとてもおとなしい。おみやげを出して上げると大よろこびで遊ぼう遊ぼうとひっぱる。幹雄ちゃんは精力のあふれてこまる様なかっこうで、私達にかぶりついたりひっくりかへったりしてゐた。

おくれて母も來られ、御飯をたべてしばらくするともう三時か四時になる。範ちゃんは「もうかへんのーォもうちょっと。ネーェ」といって仲々かへさないので、「そんなら本郷(私の家のこと)へ來ておとまりなさい」といふとヤーンといふ。やっぱり自分の家が一番いゝらしいのである。

昭和16年12月28日

和子さんの冬休み絵日記2020年12月22日 17:29

昭和十六年 十二月二十九日 月曜 睛

ずい分寒い。庭に霜柱が立ってゐる。その霜柱の間に時はづれのすみれが濃い紫色の花を一輪咲かせてゐるので驚いた。
寒さと戰って咲くすみれに尊い教訓が含まれてゐる様に思ふ。

母と姉が買物に行かれたので御倉からお重箱やおとその入物を出して洗った。前のお正月にはきんとんだのだてまきだのかまぼこだのいっぱいあったんだなぁと思ひ出す。

夜、かぶの酢の物をつくる。

ラヂオによれば今夜は防空演習を行ってゐるさうな。さういへば絶え間なく飛行機が行く。もしや敵機が近づいたのではあるまいか。暮だからと云って、お正月だからと云って、決してゆだんをしてはならないと思ふ。

昭和16年12月29日