昭和17年 鍛錬日誌2020年03月07日 14:30





いよいよ最終巻なのですが、昭和17年の絵日記は鍛錬日誌となって学校に配布されたもののようで、戦時下のため紙質が著しく悪く、手で触っただけでもボロホロと朽ちていきます。これを編集した9年前もすでにそのような状態だったので、この第4巻は絵の一部分だけで見開きページでのスキャンはできませんでした。
文章は別におこして冊子として綴じました。

これがその表紙です。
その裏の扉にうたが載っていました。今文字で打とうとしたのですが、
気分が悪くなり、途中でやめました。こんなことを10代の女子学生にまで読ませて国は煽っていたのですね。興味がある方は拡大してお読みください。

下記の太字の文章は、この日記の書き手である母和子が、70年後にその時の思いを綴ったものです。絵日記には載せています。

元寇の役(ゲンコウのエキ) 鎌倉時代、蒙古(元)軍の船団が北九州沖に攻め寄せたが嵐が来て全部沈没した。後世、これを神風が吹いたと伝える。私の考えでは台風の季節だからあたりまえ。

 片道燃料の飛行機でアメリカの軍艦に突入するのをカミカゼと言うがニュアンスが少しずれている。日本側は特別攻撃隊と称してカミカゼとは言っていない。アメリカ側が言い出した言葉が混同したと考える。 

太平洋戦争末期、日本に勝ち目が無いとわかってくるや「国家存亡の時には神風が吹いて日本が勝利する」と軍人や政治指導者は国民に教えこんだ。私のクラスでも半数くらいは信じていたらしい。 

戦争のむなしさ、指導者のおろかさがまざまざとわかる話。




ここは拡大機能がつかえないようです。

昭和十七年七月十九日2020年03月14日 15:20



七月十九日  
 明日不破さんの北輕井澤※の御家へ行くのだが、もうチッキは運送屋にたのんだし、トランクも大体つめてあるので買物に出掛ける。  
 三省堂へ行ってから銀座へ廻った。  
 今日はむしむし暑い。あの涼しい輕井澤を思ふ。その輕井澤へはあすは行かれると思うと、たまらなくうれしい

※北輕井澤  昔は法政大学村、略して大学村と称していた。法政大学とゆかりがあるらしいが、詳細わからず。軽井沢から草軽電鉄で浅間山を半周する。地図上は群馬県。学者、作家、芸術家などの別荘が多い




昭和十七年七月二十日2020年03月14日 15:27

七月二十日  
 いよいよ今日は輕井澤へ行く日。しかも仲良しと…。朝御飯もそこそこに荷物をしらべて父・母に挨拶して出掛けた。七時四十分の汽車(信越線)は割合に空いてゐた。関東平野はむし暑くていやだったが、碓氷峠へかゝると山の冷気が肌にしみて來た。  
 輕井澤駅は二、三年前から見れば人っ子一人居ないと言へる靜かさ。白服の巡査がいかめしく立ってゐた。ドイツ人らしい子が四人ばかり居た。  
 草輕電鉄※は満員で、ガタピシ走る小さな電車の立ちづめはさうとうにつらく、腰がゴリゴリして足が棒の様になって、下りたときはほっとした。  
 御池※を廻って御家へつくと、叔母様※とお姉様※とモンチャンが待っていてくださった。

遅い晝御飯を食べ終った頃チッキが着いてそれから夕御飯の支度にかゝった。叔母様と御姉様の曰く 「コショウとお塩をなめてるみたい」 
 
(↑絵の説明)牛肉油いために芯抜きうどん(何だかおわかりですか?マカロニのこと)と、玉ねぎのバタいためをそえて、白ソースをかけました。おべんたうのゆでたまごが残ったので輪切りにしました

これは先生なんだかおわかりですか? 私達が夕御飯にうでをふるったといふ 形容詞の代りです。


※草軽電鉄 トロッコのような軽便鉄道。軽井沢--北軽井沢--草津間を走る。昭和三七年に廃線 

御池 照月湖 

叔母様 成城女学校卒業 当時二十歳くらい

 ※御姉様 白百合で二年上級 

モンチャン 叔母様の弟の叔父様と小学校以来の親友だが、叔父様が早逝された後も家族同様に不破家に泊まりにきている。 慶應予科生




昭和十七年七月二十一日2020年03月14日 15:41

七月二十一日  
 五時頃目をさます。カッコーやうぐひすや、其の他色んな鳥のコーラス。ひえびえとしてゐる。起きてカーテンを繰ると淺間がはっきり見え、ふんえんが靜かに昇ってゐる。  
 夜、皆で泉へほたるを見に行った。一ぱい飛んでゐて綺麗だった。きゃあきゃあ言ってつかまへて、ちゃうちんへ入れた。十一時頃までおしゃべりした。


昭和十七年七月二十二日2020年03月14日 16:04

七月二十二日  
 午前中御池へモンチャンと私達とで行く。御池に淺間がさかさにうつって綺麗だった。 
 モンチャンに寫眞を取っていただいたが、私達の知らないあいだ(たとえば橋の上でブヨにさゝれた所をボリボリかいてゐる時だとか)にパチパチ寫されるので困った。  
 午後大瀧へ行く。瀧は谷底にあって、下りて行くと冷蔵庫に入った様。茶店でやすんでゐると、茶店のぢいさんが、明日來ればおまんぢゅうをこしらへておく、と言ふので大いにうれしがった。そのぢいさん、モンチャンのことを大将大将と言ふのでおかしかった。モンチャンてれてゐた。  
 モンチャンは明日東京へかえらなくてはならないので今夜は送別會。綴方教室と言ふのをやってワァワァ笑った。モンチャンはあえなくもまけて、ケッサクなオンチの歌と落語二つした。





昭和十七年七月二十三日2020年03月14日 16:08

七月二十三日  
 お庭でモンチャンに色んなポーズで寫眞をとってもらった。  
早御晝食べてモンチャンを駅に送りに行く。電車はさうとう遅れた。電車が出たらアロハオエを歌はうと言ってゐたが、いざ發車したら何だか恥かしくなってやめた。モンチャンたら、気取って胸のあたりで手をこちょこちょ振ってた。  
 それから約束の瀧へ行く。皆「オマンジュオマンジュ」と張り切って行った。ところがところが、食べてみたらおまんぢゅうではなくて、もち米を丸めたのに、甘くもなんともない黄名粉がかけてあるだけ。ぢいさんは、甘すぎれば塩をやるよと言ふ。ペテンにかゝった様だ。  
 下へ降りてブランコに乘って遊んだ。