昭和十七年七月二十日2020年03月14日 15:27

七月二十日  
 いよいよ今日は輕井澤へ行く日。しかも仲良しと…。朝御飯もそこそこに荷物をしらべて父・母に挨拶して出掛けた。七時四十分の汽車(信越線)は割合に空いてゐた。関東平野はむし暑くていやだったが、碓氷峠へかゝると山の冷気が肌にしみて來た。  
 輕井澤駅は二、三年前から見れば人っ子一人居ないと言へる靜かさ。白服の巡査がいかめしく立ってゐた。ドイツ人らしい子が四人ばかり居た。  
 草輕電鉄※は満員で、ガタピシ走る小さな電車の立ちづめはさうとうにつらく、腰がゴリゴリして足が棒の様になって、下りたときはほっとした。  
 御池※を廻って御家へつくと、叔母様※とお姉様※とモンチャンが待っていてくださった。

遅い晝御飯を食べ終った頃チッキが着いてそれから夕御飯の支度にかゝった。叔母様と御姉様の曰く 「コショウとお塩をなめてるみたい」 
 
(↑絵の説明)牛肉油いために芯抜きうどん(何だかおわかりですか?マカロニのこと)と、玉ねぎのバタいためをそえて、白ソースをかけました。おべんたうのゆでたまごが残ったので輪切りにしました

これは先生なんだかおわかりですか? 私達が夕御飯にうでをふるったといふ 形容詞の代りです。


※草軽電鉄 トロッコのような軽便鉄道。軽井沢--北軽井沢--草津間を走る。昭和三七年に廃線 

御池 照月湖 

叔母様 成城女学校卒業 当時二十歳くらい

 ※御姉様 白百合で二年上級 

モンチャン 叔母様の弟の叔父様と小学校以来の親友だが、叔父様が早逝された後も家族同様に不破家に泊まりにきている。 慶應予科生




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