昭和十七年十二月二十五日2020年05月09日 12:09

十二月二十五日  
 
 今日から冬休みだ。安心して寝坊してしまった。 
 
 今年の冬は(去年もさうだったが)保温上、又物資節約上、長ズボンで過すことになってゐる。ズボンといったってそんなステキなのぢゃあない。労働ズボンである。

  午前中は私のブラウス※を作った。

 午後は大塚の繪の先生※の所へ行く。こんどは柚子ときんかん。前の御清書の紅梅をお見せしてかへった。かへりがけに紙屋に寄ってお書初めの紙を買ふ。

  まち中どこでも日本髪※を見る。




※ブラウス 小学一年でミシンがけを覚え、この頃は裁断も仕上げも自分でやった。絵のシンガーミシンは後に嫁入り道具となる

繪の先生 母のすすめで日本画を習いに行った。色紙に花鳥の絵を先生が手本として描きその模写をする日本画の初歩画法。それなりに面白いが独創性がないのが不満 

日本髪 なぜかこの年末年始流行した




コメント

_ イノリン ― 2020年05月09日 12:41

夏休みの絵日記はの年で終了しています。
ただ、同じ鍛錬日誌に冬休みのことも書かれていたので、こちらも編集しました。

太平洋戦争はすでに外地で始まっていました。

_ トマサラ ― 2020年06月05日 23:13

お母様の絵の温かさに胸が熱くなりました。
お母様はこのころから絵を習っていらしたのですね。そして、「それなりに面白いが独創性がないのが不満 」と注を付けていらっしゃる!素敵な女性ですね。
足踏みミシン、私にも懐かしいです。下の金属の部分と上の木の部分、今でも金属の模様や木の引き出しの中の糸や針刺しまではっきり覚えています。母も嫁入り道具だったと記憶しています。当時の女性は小学校一年からミシンをかけられたのですね…。

_ イノリン ― 2020年06月06日 14:09

トマサラさん、
コメントありがとうございます。高学年になって母親に勧められて行ったようですね。印を押してもらうのがうれしいと以前どこかで読みました。私もお手本通りに描くのは不満ですね。
足踏みミシンは安全で良かったですよね。でも実家での記憶はすでに電気だったなー。うーっと踏み込む音が怖かったな。今のもです。

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