絵日記のあとがき2020年06月06日 14:40

 四冊の絵日記は原作者井上和子が七十年間手元に保存していたものです。娘の深澤涼子がそれを知っていて、自分の仕事として小冊子を作ってみたいといい出したことから母娘の復刻作業が始まりました。

  写真、資料を探し、度々の編集会議。旧かなづかい、旧漢字、今や死語となった昔の言葉、古い紙のシミ。編集者にとっては難問題がたくさんあったと思われます。

  自宅のテーブルが印刷所で、パソコンで文字を打ち直し、一枚づつの手刷り印刷、製本、和綴じ。手間のかかる作業で、最初の一巻が出来上がるまでに約三年の歳月を要しています。改めて御苦労様と御礼をいいたいです。

  そして、兄の絵を探し出してくれた姪の土屋昭子さんと、軽井沢で昔の別荘を見つけてくれた土屋理義さんご両人にも深く感謝いたします。

             

            平成二十四年三月十九日      井上 和子 記



↑あとがきなしだったので、一言ぐらいお礼を書いてよと言ったら書いてくれました。笑
数年に渡ったこの復刻作業は、疎遠がちだった母と娘も、時には喫茶店で顔を突き合わせ、作家と編集者みたいに語り合える良い関係になりました。高齢になっても敬う気持ちは大事だなーとこのとき感じました。
あのときの母は少女の顔になって輝いて話してくれました。戦争の話などはこういう機会がなかったら聞けなかったです。

戦争を知らない私ですが、こんな風に子どもの視点で書かれた戦中の絵日記を多くの人に見てもらえたらと思い、手製本で作り始めました。めったに褒めてくれなかった勝ち気な母も、この手製本には感動して褒めてくれました。私がした唯一の親孝行だったかもしれません。

残念なことに、母が亡くなった後にこの絵日記のことを新聞で取り上げてくれたり、テレビで紹介してくれたりしたのに、母は知りません。
将来は電子書籍にするねと言うところまでは話していて楽しみにしていました。電子書籍ではないですが、このブログで原文を披露できたので許してくれるでしょう。

私としては、紙の出版も、外国語での紹介もまだまだ未練はあるのですが、ひとまずここで終了します。

未発表の昭和16年冬の絵日記は後日ということにさせてください。

今度は私イノリン自身の絵日記を始められたらと思い、今デジタルでイラストを描く練習しています。1ヶ月後くらいに始められたら。。。その時はまたよろしくおねがいします。

コメント

_ なかりん ― 2020年06月08日 08:36

復刻作業ですか。卒制のアイデアのひとつですが、2006年にイラレ 8.0で作ったデータを、2020で開けたことが嬉しくて「復刻」したいなと思ったんです。年月の長さは違いますが、久しぶりに見るデータは感動します。

_ イノリン ― 2020年06月08日 11:09

コメントありがとうございます。
おー、見れたのね。私も外付けに取ってはあるけど、住所録のデータが見れなかったのは残念だった。そのアプリがバージョンアップせず休止しちゃったのが原因。
昨年末は仕方なく宛名は手書きで出した。無料のアプリは弱いわ。

_ トマサラ ― 2020年06月14日 00:30

お母様の絵日記、あとがき、イノリンのあとがきのあとがきに、井上ひさしの言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」をあらためて心に刻みました。素敵な読書(読ブログ)の時間をありがとうございました。こんな親孝行はなかなかできません。お母様もお嬢様もお見事です!

_ イノリン ― 2020年06月15日 14:49

トマサラさん、コメントありがとうございます。
井上ひさし(親戚ではないけど旧姓は同じですね)さんのそんな素敵なお言葉、不勉強で知りませんでした。光栄です。
手製本も出したときから毎回買ってくださり、母の絵日記をいつも応援して支えてくださってありがとうございました。
お母様とほぼ時代が同じだから、思い出を少しでも共有できたなら幸いです。

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