昭和十六年八月二十八日 ― 2020年02月16日 14:48



八月二十八日(木)晴

 朝、寫眞屋さんに來てもらって、馬に乘ってゐる所をうつしてもらった。
それから大急ぎで荷物をまとめる。ふとんは事務所であづかってくれるやうだった。かへりたくないかへりたくないと思ひながらどうしようもない。

家の前ですゝきがふらふらしてゐるのが何だかしゃくにさわった。
三時の汽車だが十一時に家を出た。途中で馬車屋の小父さんに会った。
荷物を駅にあづけて旧道へ行く。少しかへった人があるらしい。買物をして御晝をすませ、駅へかへる。とてもこむといふ話なので二時頃から改札口に並んでゐたら五,六番目だった。 
軽井沢で二台、連結するのでそれに乘ることにした。改札が始まるとバラバラかけて行く。一列に並ぶのである。早かったのでどうやら座席がとれたのはいゝが、くたびれてしまった。 やがてゴトーンと動き出す。軽井沢よさよなら……。

一夏をすごしたすべてのものと碓氷峠のトンネルによっておわかれしなくてはならない。 あゝまた來年それまではさよなら……。

眞赤な太陽が雲に入る。夕燒の空に三日月と金星とが光りながら汽車を追ひかける。 東京はさほど暑くないがムッとする。街々がやけに光ってさうざうしくてキョロキョロする。まるで御上りさんである。父がむかへに來て下さった。

家に着くとやれやれといふ氣持がする。くたびれたけれど、庭の防空ごう※を見に行く。鉄棒の下で大きなおまんぢうみたいだった。 御飯を食べてすぐに寢てしまった。 歸京でごたごたしてゐたがノートを見たら「二十八日農園」※とある。皆さん一生けんめい働いていらっしゃるのにすまない氣がする。しかし軽井沢でうんと御手傳をしたからゆるしていたゞけるだろう。

※空襲にそなえて、町内会の命令で各家庭の庭などに設置。地面を掘り数人が入れる空間を残して周りを土で覆う。数年後、実際に空襲があった時に、この中で死んだ人多数あり。

※石神井に学校農園があり、さつまいもなどを作っていた。当時は町並みなど無くて、駅からずっと野原だった。


八月二十九日(金)晴れ

父は東京は涼しい方だとおっしゃるが私達にはさうたう暑い。隣の従姉妹の家へ御土産を持って行った。
色が眞黒ではづかしい。色々な御話をしたり遊んで歸った。
チッキもとゞいたのでそれをほどくのに御晝すぎまでかゝった。

夜、上の兄の戰友で戰死した方の御父様と叔母様御妹さんがいらっしゃった。御あいさつに出ると「隆一郎が長々御 世話になりまして……」と、おっしゃるので御 氣の毒で何と言ってよいかわからなくなってしまった。

コメント

_ イノリン ― 2020年02月16日 15:47

久しぶりに79年前の母の日記をアップしました。

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