昭和十七年七月三十一日2020年04月01日 15:32

七月三十一日  
 日中はさうたう暑い。東京はさぞ大変だらうと思はれる。チッキがまだとゞかないので事務所へきゝに行ったら、しばらくして持ってきてくれた。

  夕方から大雨來り。遠近一緒に雷が大きな音で落ちる、稲光が窓から室の中までさしこむ。この雷雨は夜まで続いた。

 ※事務所 …箱根土地会社。南軽井沢事務所 



昭和十七年八月一日2020年04月01日 15:34

八月一日  

 早いもの。この間、おやすみになったばかりだと思ったのにもう十日と三分の一すぎてしまった。

  郵便屋さんが不破さんからの手紙を持って來た。今日はモンチャンを駅に送りがてら旧道へ來るのださうだ。十時に着くのだからそんなに時間はない。大急ぎで自転車ですっとんで旧道へ行き、不破さんやお姉様達と出会えた。一緒に買物などして、不破さん達は北軽井沢へお帰りになるので、私だけモンチャンを駅に送って行った。汽車は大分こんでゐた。

  嫁いだ上の姉の家へ行く。姉の御両親は軽井沢が気にいってゴルフ場のある南ヶ丘に別荘を作って一家で来てゐた。

  今日はもともとそこへ行くつもりだったので、家の人は先に行ってゐました。  
 雨が降りさうなので早目に戻ったらほとんど同時に雨が降りだした。しばらくして家へかへった。







昭和十七年八月二日2020年04月01日 15:36

八月二日  

 御裁縫、手芸などして過しました。


  夕方兄が八百屋さんの馬をかりて乗ってゐたので私も乗りました。馬は去年少しやっただけなので、まだ走るとこわい。ノソノソ歩きました。


  今日は二月位手紙の來なかった戦地の兄※から手紙が三つも來たので家中安心しました。



※戦地の兄 サラリーマンから応召された長兄は騎兵少尉として中国のどこかに居るらしいが、手紙が来ても現在地は家族にもわからない




昭和十七年八月三日2020年04月02日 16:27

八月三日 

 今日は靖国神社御清掃※の日。農園の時も行かれなかったし、今日もどうしても行かれない。もう皆さん作業をしていらっしゃるだらう。でも私だってこちらで勤労奉仕してゐる。私の勤労奉仕はおさうぢすること。おぜんだて。後の洗ひ物。お買物。洗濯などある。

  上の姉と約束してあるので一緒に旧道へ行く。純綿、純毛※など見つかった。三時頃帰ったがそれから天気がくずれて雨になった。夜まで降ったが途中一度雨がやんで陽がさした。さうしたら虹がかゝった。



※御清掃 学校に隣接する靖国神社境内を掃除する奉仕作業 

※純綿、純毛 戦争で衣料品が不足し、オールコットン、オールウールの品は市場に出まわらない貴重品となっていた 


昭和十七年八月四日2020年04月02日 16:31

八月四日  
 
 お晝から押立山の南軽井沢ホテルへ登った。(押立山は二、三百米の山でホテルはその上にあります。)

 相変らず御客は少い。其の代り景色はすばらしい。裏の方は佐久の山々。ギザギザの妙義連山、三重四重に波の様に重なって見える。放牧場の牛も見える。表の方は二十間道路※を中心にした南軽井沢の別荘がマッチ箱の様に見える。その向ふ離山から愛宕山の麓にかけて新・旧軽井沢の町が見える。白い小さな煙をはきながら行く汽車も見える。そのあたりから裾を引いてゐる淺間山の優美な曲線が頂上まで続いてゐる。実に大きな山だと思ふ。その右後、うすく上州白根の噴煙も見える。さらに淺間の左裾にはアルプスの高い山が続いてゐる。ホテルの人の言ふところによれば、朝々雲海が見えるさふだ。

 晩御飯をすまして下山した。



※二十間道路 別荘地中央の幅広い道路のこと



昭和十七年八月五日2020年04月05日 15:45

八月五日  
 
 不破さんと十時に旧道で待ち合はす約束。 少し買い物して不破さんは貸自轉車を借り、私の家へ一緒にいらっしゃった。途中で姉の家をおしへてあげた。戦地の兄から來た手紙を見せたり北軽井沢で寫した寫眞を見せていたゞいたりした。よくとれてゐるのもあり、おかしなポーズのもある。

  家でやすんで三時の電車に間に合ふ様に出掛け旧道でおわかれした。今日は家から旧道まで往復二里半位を二度自轉車で走ったけれど、なれたのでさほどつかれない。けれど手足顔のまっくろになったことはたしかだ。

  夕方、又馬に乗った。少し走らせてみたら、ドンドンドン※とぶつかっていたくてしやうがなかった。



※ドンドンドン ウマは早足になると背中が上下するので一拍おきに腰を浮かさなければならない