昭和十六年八月十八日、十九日2019年11月03日 14:01


昭和16年8月18日

八月十八日(月)晴
 十五日に碓氷峠へ行くつもりだったのに行かれなかったから、今日行くことにした。大きなリュックをしょってバスで旧道まで行く。それからさうたう急な登りになって下の方で清流の音がしたり鳥が鳴くくらいでとても静かである。
 一里くらいで峠の見晴台に着く。こゝは日本武尊の「吾妻はや※」の遺跡であるさうだが、日本武尊はよっぽど御目がよくいらっしゃったかでなければ、太平洋は見えさうにない。たゞ妙義の連山がぎざぎざしたのこぎりの様な山はだを見せて幾重にも重なってゐた。
 熊野神社に参拝し、茶店で名物力餅を食べる。
 かへりは霧積温泉へ行く途中まで行ってひきかへした。旧道でバスの時間があるので、雲場の池でボートに乘った。兄はボートの中で二度もひっくりかへってオールを両方とも流してしまったりして大さわぎだった。夜は足が痛くて痛くて仕方がなかった。


※ 日本武尊は東国(関東)を平定して北へ進み碓氷峠に至る。旅の途中で没した弟橘姫(オトタチバナヒメ)を偲んでアズマハヤ(アア、いとしい我が妻よ)と嘆かれたと日本書紀にある。碓氷峠の熊野神社に吾嬬者邪(アズマハヤ)の立て札あり。


昭和16年8月19日

八月十九日(火)晴
 姉は千ヶ瀧の御友達の所へいらっしゃり、私は旧道へ一人で買物に行った。ま すます色が黒くなり悲觀する。その他変わったことはなかった。


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