昭和十七年八月六日2020年04月05日 15:47

八月六日  

 一日中霧の様な雨。ホテルもそばの別荘もかすんで見えない。外へ出ることが出來ないから、うちで本を読んだり手紙を書いたりしてゐた。

  大分軽井沢らしい気候。木綿物では手足が寒くセーターなど着込む。



昭和十七年八月七日2020年04月05日 15:50

八月七日  

 今日はきのふの復習の様なお天気。

  お花の寫生(家の前の原ッパにはかぞへられない程お花が咲いてゐるのです)をした。





昭和十七年八月八日2020年04月05日 15:53

八月八日  

 家中で旧道へ出た。ほんたうは碓氷峠(熊野神社のあるところ)へ行くつもりだったけれど、お天気がまだへんだしするので旧道へ行った。

  今日は土曜のせいか町中ワンサカワンサカ人がゐた。

  買い物をして三時のバスでかへり洗濯などした。




昭和十七年八月九日2020年04月11日 11:46

八月九日  

 曇っては居るが大体晴れた。
  午後、西八條(ここ南軽井沢は京都や奈良の様に眞中に大通りがあり、西何條東何條といふ様な小さいみちが左右にあるのです)から入って地蔵ヶ原まで行った。
  この地蔵ヶ原は南軽井沢アパートに演習に來ているどこかの學生が毎日々々演習をして、家までもラッパやワーワーッと言ふ声など聞こえる。見渡すかぎりの野原。所々ゆるい傾斜をなし灌木と秋草のはえた絶好の練兵場である。





昭和十七年八月十日2020年04月11日 11:56

八月十日  

 今日は父が東京へ帰られる。三時の汽車だが丁度よいバスがないので十一時の旧道の方へ行き、ぐるっと徒歩で三笠ホテルの方へまわって二時半頃駅へ行った。日曜はこむと思って、わざわざ月曜にしたのだがどうしてどうして。皆そんな考えなのかどうかはわからないが、一杯の人だ。改札口に一ぱいならんでゐる。兄が先に入ってうまく席がとれた。

 三時間の後には暑い東京へおかへりになるのだから御気の毒と思ふ。どこかの女學生の一團が車中とプラットホームでテープを投げてゐた。發車の汽笛が三つ、前の機関車から順に鳴って、あっけなく汽車は出て行った。兄と二人で二十六号トンネルの所で待ってゐやうと思ったら、あぶないあぶないとおっしゃるのでやめた。

  早い御飯の最中、事務所の人が今晩高原寮で映画がありますからと言って來た。
  七時頃、ちゃうちんをぶらさげて出掛けた。行って見たらまだ始まってゐないのでその辺をぶらぶらしてゐたら始まった。廣間に白幕をかけてある。電燈が消えた。十六ミリだけれど、いはゆる雨降りではなく、とてもはっきりしてゐる。始めは、文化映画の様なもの「うにとその仲間」うにやひとでの足がとてもきれいだった。次は漫画で「海の水はなぜ辛い」。

  稲光のピカピカする中を帰った。





昭和十七年八月十一日2020年04月13日 17:35

八月十一日  

 朝は少し曇ってゐたがまもなく一点の雲もない快晴になった。ランニング一枚になって姉と短棒投げをする。中々うまく投げられない。日がかんかん照ってゐたけれど時々ひやっとした風が吹いていい気持ち。





 午後洗濯をし、物干にかけて置いたら一時間半位でかはいてしまった。


  淺間がちっとも煙を出してゐないので近いうちに爆発すると言ってゐたが、知らない間に(残念!)爆発したらしく、見たときは大きなうす茶の煙が大きくひろがってこっちへおほひかぶさって徐々に流れて來た。そして灰がサラサラ音もなく降って來た。さうたうの降灰だった。